安産守護の神社として全国より祈願者が多い

   

万葉の昔から歌に詠まれてきた名高い森で、国の史跡に指定されています。森の中には、繖山(観音寺山)をご神体とした安産延寿、狩猟、農耕の神様である奥石神社があります。本殿は国の重要文化財に指定されています。                                           


老蘇の森 奥石神社


 

奥石神社
この森の奥深い所に「奥石(おいそ)神社」が鎮座する。 国道8号線より旧中仙道に入り石の鳥居をくぐり 両側に杉の大木が林立する参道を100mほど進むと、正面に奥石神社の社殿が立ち並ぶ。 玉砂利が敷き詰められたゆったりした境内に入ると、静寂そのものの別世界である。
この社、奥石神社は延喜式内社で御祭神として「天児屋根命」(あめのこやねのみこと、をお祀りしている。
本殿は天正9年織田信長が家臣柴田家久(勝家の一族)に命じて造営せしめたもので 国指定重要文化財である。三間社流造で、桧皮葺の豪華の中に優美な落ち着きを持った建造物である。
境内中央にどっしりした拝殿、本殿に向かって左には摂社諏訪明神社(市指定文化財)
が鎮座する
。           



 

安産祈願について


祈願祷::安産祈願 お宮参り 交通安全  家内安全 七・五・三 病気治癒等々
他、子授かり祈願、交通安全祈願、厄除祈願、病気治癒祈願、合格祈願、お宮参り
7,5,3詣等々、祈願は15分〜20分。

先ず社務所にて受付(予約なし)、後、受付順にてお一人づつ、神前にて神職が祈願を行います。祈願料は10,000円から、その他、御酒 、お米など志あれば祈願の後に授与品を授けます。(安産お守り、安産守り帯、他参拝記念 撤饌 紋菓子、饌米等)

お宮参り(お礼参り)
無事に出産され、1ヶ月後にお子様をつれ、家族中でお祝いのお宮参りをされています。


奥石神社拝殿



 

老蘇の森
万葉の昔から多くの歌人や旅人によって歌に詠まれ「歌枕」としても名高い森である。
今から約2300年前 孝霊天皇の御世に石辺大連(いしべのおおむらじ)という人が神の助けを得て松、杉、檜などの苗木を植え祈願したところ、たちまち生い茂り大森林になったと伝えられている。 
後にこの石辺大連は100数拾才迄生きながられたので人呼んで「老蘇」(老が蘇る)と云い、この森を「老蘇の森」と呼ぶようになった。
この森は、平安時代には既に広く人々に知られており歌所として和歌や紀行文あるいは謡曲にも詠まれ 多くの旅人が足を留めた。 またホトトギスの名所としても知られ、老蘇の森と郭公や思い出を掛けて詠んだ歌も多い。    

     「夜半ならば 老蘇の森の郭公 今もなかまし 忍び音のころ」       本居宣長
     「きえねたゞ 老曽の森の 秋風も 心にかよふ 袖の上の露」       太田道灌
     「あづま路の 思い出にせん 郭公 老蘇の杜の 夜半のひとこえ」    大江公資


奥に見えるのが奥石神社本殿、手前が 拝殿

安産守護神のいわれ 1
伝説では、日本武尊(やまとたけるのみこと)を危機から救うために、妃の弟橘姫命(たちばなひめのみこと)が身代わりになって荒海に身を投げましたが、そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると言い残したといわれています。この話から奥石神社は安産の神といわれて、広く信仰されています。老樹の茂る参道が続き、本殿は三間社流造で重要文化財です。また、境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長の歌碑も立っています。

安産守護神のいわれ 2
用明天皇の御代(1400年前)聖徳太子が諸国御巡歴の途中老蘇の森に立ち宿りし時、その妃高橋姫がご難産であったので奥石神社に御祈願になったところ忽ちご安産なされたという古伝によって、古くから安産守護神として妊婦の祈願に参拝するものが連日あとをたたない。

安産守護神のいわれ 3
古来より奥石神社は皇室とのかかわりが深く歴代天皇の妃の安産祈願を行われている。
 

○亨保4年5月後水尾天皇の皇女林丘寺普明院宮其の母妃ご懐妊の時当社に安産祈願があった。
○慶応元年には松平春嶽父子参祈願された。
○皇太子妃 子妃安産祈願をされる。


左は奥石神社境内社諏訪社本殿、右は奥石神社本 殿


奥石神社本殿



 


奥石神社境内社諏訪社本殿
 


住所     〒521-1332 滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615  TEL&FAX: 0748-46-2481
アクセス   公共交通:JR琵琶湖線安土駅下車 タクシー10分    市民バス(あかんこバス)安土駅15分
             車:国道8号線安土老蘇の森100m 駐車場(普通車30台)